nowhere HAYAMA
葉山の対話 2023ー2025 29

屏風に描かれたのはただの絵ではなく、
それぞれの風景に、
見た人が「思い出」を重ねていくんです。

葉山ふるさと絵屏風継承会さん 
Hayama Furusato E-byobu Inheritance Society

葉山の福祉文化会館で開かれていた
まちづくりのイベントにふらっと参加した時、
目に飛び込んできたのが「葉山ふるさと絵屏風」だった。
その名の通り、4曲の大きな屏風に、
葉山の山側のエリア、上山口、木古庭の
昭和30年代の温かみのある風景が、事細かに描写されている。

どういう経緯で、誰がつくったんだろう?
その背景が気になっていた矢先、
たまたま旅先で訪れた滋賀県のある神社で、
創案者の上田洋平さんとお会いする奇縁に巡り合わせた。

上田さんが大学で教える地域文化学も興味深く、
なにより、ふるさと絵屏風の取り組みに強く惹かれた。
この百周年の対話を機に、活動の母体である
「葉山ふるさと絵屏風継承会」の代表であり、
絵師の一人としてプロジェクトにも関わった、
大八木俊也さんにお話を伺った。

葉山ふるさと絵屏風継承会
岩澤直捷さん Naokatsu Iwasawa
葉山町上山口で生まれ育ち、町内会長を務める。ふるさと絵屏風プロジェクトを牽引。ふるさと絵屏風を通して、地域の文化を後世に伝える「葉山ふるさと絵屏風継承会」を立ち上げ、初代会長に。
大八木俊也さん Toshiya Ohyagi
藤沢市生まれ。大阪芸術大学を卒業後、グラフィックデザイナーとして活動。2003年より、葉山町上山口に在住。ふるさと絵屏風の制作に絵師として携わる。現在、葉山ふるさと絵屏風継承会代表。
岩澤慶典さん Yoshinori Iwasawa
葉山町上山口生まれ。東京芸術大学大学院卒業後、同大学油画教育研究助手を経て、絵画の制作を続ける。個展、グループ展への出展多数。ふるさと絵屏風の制作に絵師として携わる。Instagram

収録:2025年1月25日 @カフェテーロ葉山
編集:長沼敬憲 Takanori Naganuma
   長沼恭子 Kyoco Naganuma
撮影:井島健至 Takeshi Ijima @葉山・上山口会館

―― ふるさと絵屏風は、もともと滋賀県立大学の上田洋平さんが創案されたものですよね?

大八木さん はい。私が関わる前の話なんですが、大和ハウス工業の方から「ふるさと絵屏風の活動をやってみませんか?」という提案があったのがきっかけです。
 その後、上田先生が葉山にやって来られて、上山口と木古庭の町内会の皆さんの前で「ここでふるさと絵屏風をつくりませんか?」と話されたんです。

―― 最初、大和ハウスさんが持ちかけてきたんですね。

大八木さん 葉山の山側、里山の広がる一帯を大和ハウス工業が所有していて、もともと森を整備して、歩道を敷いたり、環境保全的な活動を手がけておられたようなんです。

―― そうした活動の延長で企画を?

大八木さん そう聞いています。

―― 当時の「広報はやま」でふるさと絵屏風のことが特集されていて、こんなことが書かれてますね。

 「大和ハウスには、木古庭・上山口に100万坪の社有林があり、環境保全・活用の目的で2011年度に葉山の森プロジェクトを立ち上げました。 動植物の調査、山の周りに住んでいる人への聞き取りなどを行う中で、郷土史研究会の今井さんに出会い、またその頃に滋賀県立大学の上田先生のお話を聞いたんです。 ただ絵風景を作るだけじゃない、制作を通して人間関係を育む、まさに当初目指していたものと同じだと思い、「ふるさと絵屏風プロジェクト」の土台が出来上がりました」(大和ハウス工業CSR部・岩橋芳郎さんのお話しより)

じつは、ふるさと絵屏風をたまたま見た後、別の機会に滋賀で上田さんと出会ったこともあって、「葉山と滋賀がこんな形でつながっていたのか」と本当に驚きました。 何よりも上田さんが、魅力的な方ですよね。

大八木さん 私ものちにお会いするのですが、上田先生のお話に町内会の皆さんが魅了されて、「よし、やってみよう」ということになったんだと思います。

―― 物静かな雰囲気なのに、とても情熱的な方で。

大八木さん はい。先生ご自身がよく言っておられるんですが、けしかけるだけけしかけてやる気にさせる、(地域の魅力を掘り起こす)仕掛け人のような方でもあるので(笑)。

―― (上田さんの拠点である)琵琶湖の周辺だけで、すごい数の絵屏風がつくられてますね。

大八木さん 上田先生が提唱する絵屏風のつくり方というのが、地域のお年寄りたちを集めて、昔語りを聞いて、そのひとつひとつの思い出を絵にしていくという……。

―― 心象図法と呼んでいますね。

大八木さん はい。地域の人たちを集めて説明会を開き、アンケートを取って、そのあとに聞き取り会を開き、途中経過を上山口や木古庭の文化祭で発表したり……。
 こうした活動を2012〜2013年にかけて実施していき、必要な資料が集まったところで、地域の皆さん、大和ハウスのメンバー、関東学院大学の学生さんたちと300枚のコマに分けて、下絵が作成されました。
 この下絵が完成し、「さあ、これをもとに絵屏風をつくっていこう」という段階になった2014年に、僕のように地域に住んでいて、絵を描けそうな人が呼ばれたんです。

―― 聞いた話では、約3年で延べ1500人が関わった、かなり大きなプロジェクトだったんですよね。

大八木さん そうですね。2つの町内会を主体に、関東学院大学の学生、大和ハウス工業が協働することで、「ふるさと絵屏風プロジェクト」が立ち上がったんです。

Note.1

滋賀県立大学の上田洋平さん

滋賀県在住。滋賀県立大学地域共生センター講師。専門は地域文化学、地域学。「知恵の知産知消」を掲げ、風土に根ざした暮らしと文化に関する研究と実践に取り組む一方、地域と連携した人材育成、地域「共育」プログラムの開発にも力を注ぐ。


大和ハウス工業
大和ハウス工業株式会社
https://www.daiwahouse.co.jp
トピックス・
里山の文化、暮らしを未来へつなぐ
https://www.daiwahouse.co.jp/sustainable/sustainable_journey/topics/004/


当時の「広報はやま」で

https://www.town.hayama.lg.jp/material/files/group/2/44309789.pdf


琵琶湖の周辺だけで
上田さんいわく「現在、全国で60を超えるふるさと絵屏風がつくられています」。


「ふるさと絵屏風」とは?
地域の人たちの記憶を聞き取り、「心のふるさと」を絵にした屏風のこと。滋賀県立大学で地域文化学を教える上田洋平さんが提唱する心象図法を用い、これまで滋賀県内を中心に制作されてきた。関東で制作されたのは葉山町の上山口・木古場地区が初めて。



心象図法
地域に暮らす人たちの「五感体験」を集め、語り合い、「心のふるさと」のイメージを絵に仕上げていく手法。


―― 大八木さんにお声がかかったのは、上山口に住んでいて……。

大八木さん そうですね。もともと上山口町内会の理事をやったことがあったので、(絵屏風のパンフレットを見せながら)ここで紹介されている岩澤直捷さん、倉林彰さんとは知り合いでもあったんです。私が理事をやっていた時の町内会長、副会長で、お二人とも地域の名士ですよ。

―― 地域でのつながりがあって。

大八木さん はい。それで、僕の本業はグラフィックデザインなんですけど、ある時、倉林さんから「そういう仕事してるんだから、ちょっと手伝ってくれないか?」って言われて、お手伝いすることになったんです。

―― どんなことをするのか知っていたんですか?

大八木さん 何かやっていることは知っていたんですけど、大変そうだから面倒くさいなと思っていて(笑)。
 でも、皆さん頑張っておられたので、力になれることがあればという感じで関わり出したんです。

―― 絵を担当したのは、大八木さん一人だったんですか?

大八木さん いえ、こちらの3人ですね。(写真を指しながら)こちらが岩澤慶典さんで、会長の甥なんですよ。いまは外に引っ越しましたが、当時は上山口在住で、東京芸大の大学院を出て、いまも絵描きとして活躍されています。
 もう一人は、木古庭に住んでいた小島栞さん。彼女も多摩美を出て、上山口会館で子どもに絵を教えていました。
 私も多少の絵心はあったので、この3人に下絵をもとに絵屏風を描く作業がゆだねられたんです。

―― すごい。ただ、雲をつかむような感じもしますね(笑)。

大八木さん (写真を見せながら)こんなふうに原寸大の模造紙に鉛筆で下絵が描いてあって……。

―― 関東学院大の学生たちが描いたわけですよね? 

大八木さん 学生たちもそうですが、地域の人たちや大和ハウスのメンバーが町内会館に集まって、夜な夜な話し合いながら一つ一つ下絵を描いていったんです。

―― そもそも、下絵を描くまでが大変そうですね。

大八木さん まず、最初のアンケートで昔の記憶を自由に記述してもらい、このアンケートをもとにマップやマンダラをつくり、そのあとに聞き取りがあって……。

―― マンダラやマップは僕も見ましたが、過去の時代を感じるのに十分すぎる内容ですよね。でも、それだけで終わらず、ここから下絵が描かれていったと。

大八木さん はい。(下絵の模造紙を見せながら)「ここに何があった」「ここには何があった」って、(関連する出来事などを書いた)付箋がペタペタ貼られていて、まあ、上手な絵もあれば、あまり上手でない絵もあるわけです。
 この下絵をもとに絵屏風に仕上げるのが、僕たちの役割だったんですが、一つ一つバラバラな下絵をどこまで活かすべきなのか? そこはずっと手探りでしたね。

―― 絵屏風って、かなり大きいですよね?

大八木さん 寝かせた絵屏風の上に、町内の大工仕事が得意な方がつくってくれたウマを跨がらせ、その上に座ったり、腹ばいに寝転んだりして作業をしました。この体勢がなかなか苦痛で、肩や腰がバキバキになりました(笑)。


アンケートの内容をカードにし、カテゴリー分けした「五感体験マンダラ」を作成。


模造紙に300枚の下絵を貼り付けた絵屏風の「設計図」(それぞれの下絵はNOTE3を参照)。

Note.2

絵屏風のパンフレット


ふるさと絵屏風、完成までの道のり

聞き取り
2012年11月に説明会を開催し、約70名が参加。翌月に実施したアンケート(=五感体験アンケート)をもとに聞き取り会を開き、五感にまつわる思い出を話してもらう。

マンダラ作成
2013年6月、絵屏風チームが発足。五感体感アンケートの内容を8つに分類(家、暮らし、集落、農地、小学校、道、山、川、催事)。このマンダラをもとにさらに聞き取り。

下絵作成
2014年4月、関東学院大学・人間環境デザイン学科のゼミ生たちがプロジェクトに参加。地元の人たちとともに里歩きし、写真などをもとに、約300枚の下絵を作成。

絵師による制作
2014年11月、300枚の下絵をデータ化し、パソコン上でレイアウト制作。和紙風の用紙に印刷、表装された下絵をもとに、3名の絵師が執画し、絵屏風に仕上げていく。

表装仕上げ
2015年5月、執画がすべて完了し、守谷表具店の守谷周市さんが屏風に縁をつけ、「葉山ふるさと絵屏風」が完成。上山口会館で、お披露目会が開催された。


ふるさと絵屏風シンポジウムで語る上田さん(2013年4月)。

ウマ
体が直接触れないよう、絵屏風の上に橋のように組まれた木製の作業台。


―― 実際、どういう手順で描いていったんですか?

大八木さん まず私が400枚ほどあった下絵をスキャンして、データにして、それを取捨選択しながら、自宅のパソコン上でレイアウトしていきました。
 それで、その画像を会館にしつらえたスクリーンに投影して、プロジェクトチームの皆さんで意見を言い合いながら修正し、「どの絵をどう配置するか?」を確定していったんです。

―― すごい。データの取り込みからやったんですね。

大八木さん 仕事上、そういう作業は得意なので、まずそこから準備しました。そして、配置が決まったところで和紙風の用紙に出力し、屏風に貼っていったんです。

―― 出力と言っても、かなりの大きさですよね?

大八木さん はい。屏風に合った和紙風の用紙を、大型インクジェットプリンターで出力できる業者を探して、発注して、あがってきた用紙を地元の守谷表具店さんにお願いして、屏風の骨に貼り付けてもらったんです。

―― 守谷表具店さんは、確か一色の……。

大八木さん はい。本来、和紙は伸縮性があるものなのですが、あくまで和紙風の用紙なので、「屏風にするのに苦労された」と守谷さんはおっしゃっていました。

―― そうやってできあがった屏風に清書していった?

大八木さん ふるさと絵屏風は4つの屏風、正確には2扇1組に分かれているので、それぞれを寝かせて、さっきお話ししたウマに乗って描いていったんです。

―― 会館にはどのくらい通ったんですか?

大八木さん 3〜4ヶ月くらいですかね。その間、会館の和室はずっと貸し切り状態でした(笑)。

―― 3人で定期的に集まって、少しずつ描いていったんですよね? 苦労したことはなかったですか?

大八木さん 最初は、下絵の通りに描いていったんですが、家の形とか、下絵のままだと角度が変だったりするわけですよ。だんだんおかしいなって思うようになって、自分たちでアレンジしていくようになりました。
 下絵を白のジェッソを塗って消して、自分たちで好き勝手に判断して、描いていくようになりましたね。

―― 3人でどう役割分担していたんですか?

大八木さん 岩澤くんが背景全体、山、道、木、森とかを全部描いていて、私は人や家、車など、もう一人の小島さんは、畑の野菜とか花とか小物系を描いていました。
 それぞれ仕事もあるので、LINEで「今日は何時から何時まで行きます」とかやりとりして、それで3人揃うときもあれば、ひとりでやるときもあって。僕の場合、晩ごはんを食べた後に作業することも結構ありましたね。

―― 夜にやってたんですか?

大八木さん 夜中の2時、3時くらいまでやって、次の日に岩澤くんが来る場合、「今日は◯◯◯を描きました。ここに◯◯◯を描いておいて」と付箋を貼って残しておく。そうすると、次に行ったときに描かれてあるという感じに……。

―― 制作は順調に進んだんでしょうか?

大八木さん 描きはじめたのが2014年の12月で、最初は年をまたいだ4月にお披露目と日にちが決められていたんです。ただ、やりはじめたら絶対に無理だとわかって(笑)。それで、5月まで伸ばしてもらいました。

―― ということは、5ヶ月くらいで? すごいなあ。やりながら気持ちの変化はありましたか?

大八木さん 最初は言われた通りにやっていたのですが、古い時代を描いていくには、証拠が必要というか……、リアルさがなければ意味がないじゃないですか。
 「これは本当にここにあったのか?」とか、「この時代にどんなバス、車が走っていたのか?」とか、なるべく嘘のないようにしたいと思うようになりましたね。
 そういう意味では、やる気が出てきたのかな(笑)。 ――

―― だんだんモードが変わってきたんですね。

大八木さん 地域の人たちが古い資料をたくさん集めてくださって、それが参考になりましたね。特に岩澤直捷さんは、地域の顔役なので、みんな知っているわけですよ。いろんな家にあたって、古い写真を出してもらって、それをファイルにしてくださって……。そういう後押しも有難かったですね。

たえず話し合いながら、昭和30年代の葉山(上山口・木古庭)を再現。

制作途中の絵屏風。屏風の大きさは、縦1.8メートル×横3.6メートルにも及ぶ。

Note.3

300枚にも及んだ下絵の一部。





下絵描きに取り組む関東学院大学の学生たち。
地元の人たちの話を聞きながら、細部をイメージしていく。
中間報告会で、学生たちが絵屏風の全体イメージを紹介(2014年7月)。

3人の絵師(大八木さん、岩澤さん、小島さん)による絵屏風の執画風景。

下絵と完成後の絵コマ。下絵を活かしたものもあれば、角度を変えるなど工夫したものも。



―― 絵屏風に描かれたのは、昭和30年代の上山口や木古庭の情景なんですよね?

大八木さん そうですね。(4つの屏風で成り立っているので)左から春、夏、秋、冬と、それぞれの季節の日常や行事など、さまざまな光景を描いています。

―― 制作中、苦労されたエピソードはありますか?

大八木さん 皆さんから出していただいた資料、とても有難かったんですが、当然、みんなモノクロなんですよね。だから、実際にどんな色だったかがわからなくて。

―― ああ、確かに色は盲点ですね。

大八木さん たとえば、メインの通りはバス通りでもあるので、京急バスが走っていたんですが、どんな色だったかは、人によって記憶が違っているんですよ。
 当時はボンネットバスで、形はわかるんですが、「ここを走ってたのは京急じゃなく、三浦交通だよ」っていう人もいたり。三浦交通だと白と赤なんですね。それに対して「いや、京急バスも走っていたよ」という声もあったり(笑)。

―― そこはどうやって調べたんですか?

大八木さん これでは埒が開かないと思って、岩澤くんが京急バスの逗子営業所に行って、この当時の運行状況とか、バスの色とか調べてくれたんです。

―― 結局、京急バスは走っていたんですか?

大八木さん 走っていたようです。色もいまと同じ青と赤の基調だったようで、絵屏風でもそう描きました。

―― 細部にこだわっていくと、なかなか大変ですね。場面の一つ一つ、すべて考えられたんですか?

大八木さん あとあと食い違いの出たところもありましたが、それこそ最初にやった聞き取り調査のなかに、参考になるようなエピソードが結構あったんですね。
 たとえば、(上山口を流れている)下山川は、昔は護岸工事をしていなかったから、簡単に川に降りることができました。
 当時はいまより川もきれいで、魚もいっぱいいたし、コイやうなぎも採れたんだというんです。

―― なるほど、そうしたエピソードを反映したり。

大八木さん (絵屏風の一部を指しながら)これは、ザリガニの捕りに来た池上の子供っていう設定なんですが……。

―― 池上というのは?

大八木さん 横須賀の池上ですね。横須賀は当時から栄えていたので、自然がだいぶ失われていて、「葉山に行ったらザリガニがいっぱい捕れる」って聞いた池上の子どもたちが、下山川の上流のほうによく来ていたらしいんですね。
 だから、ちょっと意地悪っぽい顔をしているでしょう? 普通に見ていてもわからないと思いますが(笑)。

―― 絵屏風のなかにいろんなドラマが隠れているんですね。ちなみに、池上から歩ける距離だったんですか?

大八木さん 十分に歩けましたね。

―― 当時の生活圏とか、子供の遊ぶ範囲とか、細かく見ていくと、いろいろと面白いですね。

Note.4

京急バスが走っていた
当時、ボンネットバスだった京急バス。右のバイクは旭屋の配達。

京浜急行バス 
https://www.keikyu-bus.co.jp
葉山旭屋牛肉店
https://www.town.hayama.lg.jp/hayamalife/taberu/7595.html


ザリガニの捕りに来た池上の子供
ザリガニの捕りに来た池上の子供。
下山川でコイ採り。
メンコ遊びをする子どもたち。
農作業風景。牛を引いて田起こし。
耕運機を導入した農家。
農作業の合間にちょっと休憩。



完成した「葉山ふるさと絵屏風」。右から春、夏、秋、冬、4つの季節の光景が描かれている。

大八木さん 昭和30年代は、農業にとっても変革期で、こうやって牛を引いて耕して、子供はその手伝いをする、その一方で、耕運機が出てきて、楽になったと喜んでいる人もいて……。(絵屏風には)こうした光景を一緒に描いています。

―― 時代の狭間で混在してるんですね。

大八木さん あと、僕は車が好きなので、古い車を描くのが楽しかったですね。たとえば、この行商のおばちゃんは、上山口で採れた野菜を横須賀まで売りにいくんですが……。

―― ああ、通りのところにバスを待っているんですね。

大八木さん (別の車を指しながら)こちらは1950年代のフォルクスワーゲンのビートルですね。初期型で、後ろの窓が二つに分かれているんですけど、この当時は高級車だったわけですよ。

―― おお、誰か乗っている。

大八木さん ええ。車内に金持ちそうなおじさんを描きました、お医者さんという設定で(笑)。

―― そういう方もおられたという?

大八木さん まあ、単に堀内のほうから車で通り過ぎてるだけかもしれないですけど(笑)。
 あと、こちらのオープンカーは2代目のフェアレディ、これは上山口に住んでいる方がいまも所有されていて、当時、新車を買って乗り回していたようなんです。

―― この時に買った車がいまも。

大八木さん そう。大事に乗られているみたいですよ。

―― この大通りはまだ舗装されてないんですね。

大八木さん 県道なんですが、開通したのが昭和35年だったかな? ちょうど開通したばかりの頃で、それまでは旧道しかなく、道もまだ舗装もされていなくて。だから、車が通り過ぎた後には土ぼこりが舞っているわけです(笑)。

―― ホントだ。リアリティがあるなあ。

大八木さん 県道ができて、そのあとバスが通ったんです。それまではバスもないし、灯りもなかったみたいで。

―― 電燈もなかった?

大八木さん 当時の話として、たとえば、池上までバスで帰ってきて、そこから暗い道をずっと歩いて、やっと見えるのが駐在所の赤い光だったという、そういう時代です。
 ただ、(絵屏風には)電柱を描いてますし、ここに鉄塔ができて、東京電力も入ってきていて……。

―― やはり、時代の狭間みたいな感じですね。ちなみに、お店とかはあったんですか?

大八木さん ここに茂左衛門商店というお店があって、絵屏風には描いてないんですけど、魚澄という魚屋さんと、当時の上山口にあったのはそれくらいみたいですね。

―― たしかに魚屋さんはいまもあったような……。

大八木さん いまもありますね。旧道沿いにあって、当時はそこがメインストリートだったんです。
 あと、アイスキャンディー屋が来ていたり、堀内の旭屋がコロッケを配達していたり……。

―― 旭屋さんのコロッケはこの頃からあったんですね。

Note.5

フォルクスワーゲンのビートル
2代目のフェアレディ
2代目フェアレディ。
フォルクスワーゲンのビートル。
ダイハツ・ミゼットに乗る魚屋さん。
オート三輪。マツダのT2000。
バイクに乗る若者。


茂左衛門商店
よろずやとして利用されていた「茂左衛門商店」。

アイスキャンディ屋さん。


―― このあたりに住んでいる人は、横須賀のほうに働きに出ていたりしたんですかね?

大八木さん 基本的に、農家の人が多かったんじゃないですか。横須賀、横浜、人によっては都内まで通っていたとは思いますが、いまほどじゃないですよね。今回、昔の写真を結構見ましたけれど、ほとんどが田んぼなんです。

―― いまも棚田が残っていますが、当時はもっと……。

大八木さん (絵屏風は)四季に分けて描いているじゃないですか。この絵の下のほうは、米づくりの四季なんですよ。籾蒔きして、耕して、代掻きして、田植えをして、稲がだんだん育ってきて、雑草を採りながら、秋に収穫して。収穫後も稲を掛け干しして、脱穀、精米して、さらに餅つきをして、お正月を迎えて。

―― よく見ると、すべての行程が描かれているんですね。

大八木さん あと、こちらは(年末の)大掃除の風景ですね。障子を張り替えたり、畳干しをしたり……。

―― いやあ、説明付きで全部見ていきたいですね。

大八木さん 屏風の上のほうは、畑作の四季なんです。この地域で生産されている大根、とうもろこし、枝豆、じゃがいも、きゅうり、トマト、かぼちゃ、スイカ、生姜、こんにゃく芋、さつまいも、かぶ、里芋、白菜、キャベツなど……。
 冬には収穫した大根を干して沢庵にしたり、切り干し大根にしたり、それぞれ季節ごとに描いています。

―― こちらはお祭りですか?

大八木さん はい、木古庭のふるさと祭りですね。木古庭不動尊(瀧不動尊)の神事でもあるんですが、本圓寺という日蓮宗の大きいお寺もあって、ここでは御会式も行われています。
 木古庭に関しては、こうした四季にやる行事を、ひとつの屏風に全部収めているんです。

―― あと、お葬式の光景とかもありますね。

大八木さん 野辺送りと言って、お墓のある新善光寺に向かって通りを歩いていく葬列を、畑作業をしている人が手を止めて、拝んでいる光景ですね。

―― すごいなあ。この絵屏風全体にどんな思いが込められているんでしょうか?

大八木さん 上山口、木古庭には、いまも里山的な、昔ながらの景色が残っていますが、これをどうやったら伝えていけるか? ということだったと思いますね。
 岩澤さんも、そのことをずっと口にされてましたし、その思いが原動力になったんだと感じます。

―― いろいろと苦心されながら、ふるさと絵屏風が完成されたのが2015年5月でしたね。

大八木さん はい。5月9日、上山口会館でお披露目会が盛大に行われました。山梨町長をはじめ、来賓の方を多数お招きして。上田先生も滋賀から来てくださいました。

―― つくりあげてどんな気持ちでしたか?

大八木さん つくっている時もそうでしたが、地域の方といろいろな交流が生まれたのがよかったですね。
 その後も上山口の文化祭まちフェス葉山などさまざまなイベントで原画を公開しているんですが、立ち止まって見てくれる人が結構いて、そこはうれしいですよね。
 特にお年寄りの方が「ずっと見てられるわね」「よく描かれていて、頑張ったわね」って。「昔はこうだったのよ〜」って口にされることも多いですね。

―― 自分の人生とどこかで重ねるところもあるんでしょうね。

大八木さん 絵を見てみんなで語り合う、そこが上田先生の狙いなんだと思いますね。いまもあちこちで展示させていただいていますが、そこの目的は達せられたな。

Note.6

米づくりの四季
畑作の四季
木古庭のふるさと祭り
上山口会館でお披露目会

春の田植えの光景。
春の籾まきの光景。
秋の精米の光景。
冬の餅つきの光景。
冬の野焼きの光景。
畑作の光景。ニンジン、枝豆、こんにゃく芋など。
大根の収穫と切り干し大根づくり。
炭焼きの光景。
じゃがいもの収穫風景。
自然薯掘り。
本圓寺のお会式。長竿廻しと雪洞(ぼんぼり)。
木古庭にある日蓮宗・本圓寺。
新善光寺へ向かう野辺送りの光景。
木古庭の例祭とのぼり旗。

本圓寺
https://honnenji.sakura.ne.jp
瀧不動尊(木古庭不動尊)
https://honnenji.sakura.ne.jp/takifudo.html
新善光寺
https://www.zenkojikai.com/kanto/ka-54.html

山口の文化祭
上山口町内会文化祭。毎年11月に開催。

まちフェス葉山
まちfes葉山。NPO法人葉山まちづくり協会が主催。
https://www.hayama-npo.or.jp/


―― ふるさと絵屏風が生まれて10年以上になりますが、いまはどんな形で活動されているんでしょう?

大八木さん プロジェクトに関わった地域のメンバーを母体に、「葉山ふるさと絵屏風継承会」という名前で活動してます。絵を担当した僕や岩澤くんも、無理やり入れさせられて……。

―― 無理やり(笑)。

大八木さん 「こういうことは、描いた人がやらなきゃだめだよ」って言われて入ったんですが、「そもそも、あなたたちが言い出しっぺだろう」って思いましたね(笑)。

―― いまは代表をされているんですよね。

大八木さん ふるさと絵屏風の制作に携わり、さまざまな地域の方と交流していたら、いつのまにか……。絵屏風に関わった当時のメンバーが高齢化し、なかには亡くなられた方もいて、役割なんだろうなと思っています。

―― 地域のイベントなどに出展するほか、小学校で出張授業をされたりもしていますね。

大八木さん はい。いまは小学校3年生の社会科の授業に「地域を学ぶ」というカリキュラムがあって、その一環で呼んでいただく形が多いですね。最近は減ってきているんですが、(地元の)上小では毎年やっていますよ。

―― 子どもたちの反応はどうなんですか?

大八木さん 「おじいちゃん、おばあちゃんはこんな暮らしだったんよ」って話すと「へえ〜」って面白がってくれますけど、3年生くらいだとすぐ飽きちゃう(笑)。
 本当はもう少し上の学年がいいかもしれません。 ――

―― もっといろんな形でお披露目できる形が増えるといいですね。

大八木さん 最近では、別の地域で絵屏風をつくりたいという方が、葉山に見学に来られたこともあります。その時は、ふるさと絵屏風をどうやってつくったのか? いろいろとレクチャーして、上田先生にもおつなぎしました。今後も、地域の活動に興味のあるいろいろな方とつながっていきたいですね。

―― 今日みたいに細かく説明をいただきながら鑑賞すると、見え方が全然違ってきます。移住者のなかには葉山に愛着を持っている人も多いので、もっと広まったらいいなあ。本当はどこかに常設されればいいのに……。

大八木さん 管理の問題もあるので難しいですが、お呼びがかかったら、できることは対応したいですね。

―― 今日はありがとうございました。記事を読んで、少しでも興味を持つ人が増えることを願っています。

大八木さん こちらこそありがとうございました。

左から大八木さん、岩澤直捷さん、岩澤慶典さん。

Note.7

2015年5月、ふるさと絵屏風の完成を祝いお披露目会を開催。
絵屏風の前で語り合う地元の皆さん。お披露目会での一コマ。
完成後、小学校での授業、イベントなどで絵屏風を披露。
Facebookの告知を見て、滋賀から日帰りで「まちfes葉山2022」の会場に駆けつけてくれた創案者の上田さん(左から岩澤さん、上田さん、大八木さん)。
葉山ふるさとカルタを使ったカルタ大会。上山口文化祭にて。
2016年には「葉山ふるさとカルタ」も誕生。絵屏風の絵コマを使い、読み札は上山口小学校の子どもたちが創作した。
当時の道具を手にしながら、絵屏風に描かれたバッチン(スズメ獲り)を説明する岩澤直捷さん。

葉山ふるさと絵屏風プロジェクトの皆さん。現在は、葉山ふるさと絵屏風継承会として活動中。