葉山の対話 2023ー2025 25
藤田一照さん Issho Fujita
藤田一照
1954年、愛媛県生まれ。灘高校から東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。院生時代に坐禅に出会い深く傾倒。28歳で博士課程を中退し、禅道場に入山、29歳で得度。33歳で渡米。以来、17年半にわたってマサチューセッツ州ヴァレー禅堂で坐禅を指導する。
2005年に帰国し、現在、葉山を拠点に坐禅の参究、指導にあたっている。曹洞宗国際センター2代所長(2010〜2018年)。
著書に『現代坐禅講義―只管打坐への道』『現代「只管打坐」講義』など、共著に『アップデートする仏教』『禅の教室』など。訳書に『禅への鍵』『[新訳]禅マインド ビギナーズ・マインド』『禅的修行入門』など、近著に『NHK宗教の時間 AI時代に学ぶ禅: 本来の自己を生きるために』『仏伝身読』がある。
収録:2025年1月12日 @茅山荘
編集:
長沼敬憲 Takanori Naganuma
長沼恭子 Kyoco Naganuma
山川麻美 Mami Yamakawa
撮影:井島健至 Takeshi Ijima @茅山荘
―― 今回、葉山町制百周年に合わせて、葉山の30人の方と対話をしているんです。
一照さん 百年ですか。僕が葉山に来てちょうど20年経ったので、その5倍ですね。2005年の3月に来たから……。
―― アメリカから日本に戻って、葉山で暮らすようになったんですよね? それからもう20年……。ここに来られたきっかけは何だったんですか?
一照さん いまの(茅山荘の)オーナーさんが、「一照さんをここに置いたら面白いかもしれない」と思ったそうで、アメリカまでここの写真を持ってこられたんです。
―― アメリカにわざわざ? その頃は一照さんはもう日本に帰ろうって思っていたのですか?
一照さん 何も考えてなかったですね。
きょん2 え、ここの話が先だったんですか?
一照さん 「ここに来ないか?」という話があって初めて考えたんです。それで急遽日本に帰ることになって、6ヶ月ぐらいで準備して。ネットもない時代だったから、(娘の)学校を探すのも、引っ越しも、どれも大変でしたね。
―― アメリカの生活に心残りはなかったんですか?
一照さん 僕はアメリカに18年ぐらい住んでいて、そのままずっといるだろうなと思っていたんですが、もう50歳になっていて、僕が死んだら家族はどこも行くところがないわけですよ。日本にもないし、アメリカにももちろんない。
禅堂は僕がいるから一緒に住んでいるだけで、いなくなったら住む理由がないからね。「出て行け」とは言われないと思うけど……、いる理由がないじゃない? そういうことを全然考えていなかったなって、はたと気がついて。
―― 50歳という節目も影響していた?
一照さん その前年に(妻の)尚美のお父さんを看取ったんですが、その時、「待てよ、俺もいつかはこんなふうに死ぬんだし、いまの状況は家族にとっては無責任かもな」という気持ちになりましたね。そんなときに「日本に帰ってきませんか」って話があって。
―― それは思いがけず?
一照さん 思いがけず。いきなりだもん。明日ちょっとお訪ねしていいですかって、電話がかかってきて。
―― 葉山にこんなに長く住むと思っていましたか?
一照さん ないですね。本当に気がついたら20年経っちゃったっていう感じです(笑)。
きょん2 オーナーさんとは知り合いだったんですか?
一照さん じつは1995年の1月17日、阪神淡路大震災が起きた夜に東京で初めて出会ったんです。
その時、上の子が3歳ぐらいで、3人で一時帰国していて、尚美の実家に居候していたんですよ。それで、朝起きてテレビをつけたら神戸が燃えている。
僕は高校の3年間、神戸にいたんです。そこに、生まれて見聞したなかで一番大きいマグニチュードの地震が起こって、高速道路が傾いているし、あちこち燃えているし……。「こんなことが起こるのか。しかも、若い頃に自分が住んでいたところで」ってちょっと穏やかじゃない心境だったんです。
―― 確かに穏やかではいられないですね。
一照さん その日、僕の大学の時の悪友みたいな連中と、たまたま飲む約束があったんですよ。
佐賀の伊万里のお坊さんと有田の磁器屋の息子の3人で集まって飲んだんですが、地震のこともあって穏やかじゃない状態で飲んだので、かなり酔っ払って。
そしたら有田の友人が「ビジネスのことで相談したい人がいて、8時半に約束しているから抜ける」って言うので、酔っ払っていたこともあって「俺らも行く!」って言って、相手の人に連絡してついて行っちゃった(笑)。
それでタクシーに乗って行ったら、新橋の料亭の前に止まって。料亭なんて入ったことないし、汚い作務衣を着ている自分に年配のおかみさんが「お待ちしておりました」なんて言うわけですよ。一瞬で酔いがさめちゃった(笑)。そこにいたのが、いまのオーナーさんだったんです。
―― すごい、ドラマみたい。
一照さん 座敷を3つぐらいぶち抜いた、すごい広い部屋に芸者衆がずらーっと坐っていて、トントコトンとか始まって。1月17日が芸始めらしく、新橋の芸者が勢揃いしていたんです。
―― そんな世界があるんですね。
一照さん びっくりしていたら、「こちらはどなたですか? どうもお坊さんのようですが……」って話がはじまって、僕がアメリカで禅を教えているという話をしたんです。
そのなかで、その年の4月にティク・ナット・ハンさんが来日して日本各地でリトリートを行う予定になっていて、僕が通訳をすることを話したら興味を持たれて、清里での5日間のリトリートに参加されたんですよ。
きょん2 一照さん、アメリカに住んでいたのに、日本でのリトリートに関わっていたんですか?
一照さん そう。95年はまだ帰る予定はまったくなかったときで、この20日間だけ日本に戻っていたんです。(いまのオーナーさんとのご縁も)もうそれで終わりかなと思ったら、「今度はいつ帰って来られます?」っていう感じで、共通の友人もいたので帰国するたびに一席設けてくれるようになって。
―― すごい、そのご縁でここの管理人になられて、いまの暮らしにつながっていったんですね。震災がなかったら、普通に飲んで終わったかもしれないのに……。
一照さん そうですね。なんで震災とそれが重なるのかも不思議でよくわからない。
たまたまって言えばたまたまなんだけど、なんか意味深な感じがしますよね。ご縁と言うしかありません。
アメリカから日本に戻って
一照さんは、1987年、アメリカのマサチューセッツ州にあるパイオニア・ヴァレー禅堂の住持(住職)として渡米。
高校の3年間、神戸にいた
愛媛県の新居浜市で生まれた一照さんは、神戸の灘高を経て、東大の教育学部へ。
ティク・ナット・ハンさん

1926年-2022年。世界的に影響力を持つベトナム出身の禅僧。平和活動家、詩人。現代の「マインドフルネス」の先駆者として知られる。

1995年、阪神淡路大震災の3ヶ月後、ティク・ナット・ハンが来日、20日間にわたって各地で講演、リトリートを行う旅に、一照さんは通訳として同行。

―― 当時、葉山については知識もあまりない状態で?
一照さん 御用邸がある町だくらいのことはもちろん知っていましたが、「ここはいいな」と思うようになったのは、下見に来た時、2晩泊まって、葉山のいろいろな場所を歩いてみてからです。
海や山など適度に自然があって、住みようによってはすごく豊かなリソースがあるところだなって感じました。いざ住みだしたら「外に出る時にはちょっと不便だな」と思うところもあったけれど、逗子駅も近いし、何とかなるかなって。
―― でも、アメリカにいた時のほうが不便だったのでは?
一照さん そう、めちゃくちゃ不便(笑)。東海岸のマサチューセッツ州の西の外れの雑木林のなかにいたんですが、「こんなところで家族で暮らすのは大変ですね」ってよく言われていました。
―― アメリカでは車で移動が普通ですよね。
一照さん そうそう、下駄のようなもので、僕のように貧乏人でも一家族に2台はないと不便でね。1台だけだと僕の活動に使っていたら、子どもたちに何かあったときに尚美はどこも行けないし、車で4キロ下りないと町に行けなかったですから。
―― なるほど。それに比べたら葉山は……。
一照さん まったく便利ですよ。雪が降らないので気も楽です。
―― そんなに寒いところだったんですか?
一照さん 寒い寒い。僕が住んでいたところは、(北海道の)旭川ぐらいの寒さ。冬はマイナス20度から25度ぐらいになって、しかも、雪が降ると、たいてい停電するんです。
―― 暖房はセントラルヒーティングとか?
一照さん 冬は大地が1.5メートルぐらいの深さまで凍ってしまうので、凍ったり溶けたりすることで家がガタガタになるんです。だから、同じ深さに掘ってコンクリートの地下室をまずつくって、その上に建てないといけない。法律でそう決まっていたんですよ。
僕らの住んでいた家は、お金がないので地下室に大きな薪ストーブを置いて、あとは断熱材で熱が逃げないようにして、上の階も温めるようにしていました。2、3日外出して帰ってくると、冷蔵庫のなかのものが全部凍っているんですよ。
きょん2 暖炉の上に住んでるみたいなんだ。
一照さん そう。いったん温まると温かいんだけど、薪がたくさんいる。毎年11月頃から木を切って、薪を割って、冬の準備が始まるんですが、かなり大きなストーブを使っていたので、(必要な薪を集めるのも)結構重労働なんですよ。
それに煙突の煤を払わないとブワーッと燃え上がって火事になるから、使う前にまず煤を払って、冬になると二重窓に替える。
手づくりのフレームにセロハンみたいなものを貼って、それをドリルで窓に付ける作業を、坐禅堂と僕たちが住む家と両方やらなきゃいけなかったんですね。
お金がないからみんな自分たちでやっていました。
―― それに比べたら葉山の暮らしは……。
一照さん アメリカのときと比べると、ここの生活は、パワーリストを外した感じだなって思いますね。生活の大変さもあったけれど、英語も使わなくていいので……。
喋れてはいたけれど、やっぱり脳には相当負荷がかかっているらしくて、日本に帰って、日本語が使えるようになってから、脳が楽でホッとしている感じがしましたね。
きょん2 長く暮らしていてもそうなんですか。
一照さん やっぱりホッとする。娘たちは、逆に英語脳になりつつある時に帰ってきたから、ちょっと大変だったみたい。「てにをは」がよくわかんないみたいなね。
東海岸のマサチューセッツ州の西の外れ
アメリカ・マサチューセッツ州。
バレー禅堂。ヴァレー禅堂。「安泰寺の先輩たちと地域の坐禅グループが共同で建立した坐禅道場です」(一照さん)。


一照さんは渡米し、ヴァレー禅堂の第2代住持に。日本人女性と結婚、家族とともに自給自足に近い生活をしながら18年近くを過ごした。


ヴァレー禅堂時代に撮影した坐禅と経行(きんひん)の貴重なシーン。「ヨガ雑誌に掲載するために撮影したと記憶しています」(一照さん)。
―― 葉山で暮らしはじめて、最初は知り合いもいないなか、地域のなかにどう入っていったんですか?
一照さん 僕は本があれば一人でも大丈夫なので、あまりまわりと仲良くしようという気はなかったですね。散歩している時や山門前の落ち葉を集めていた時に近所の方が話しかけてくれて、何人かは仲良くなりましたけど。
きょん2 坐禅会を始めたのは?
一照さん ここに引っ越したのが2005年の3月21日だったんですが、その年の5月には始めていました。
―― わりとすぐに始まったんですね。
一照さん A4の用紙に「坐禅会やります」とワープロでつくったチラシをつくって門に貼っておいたら、4〜5人ほどでしたけど、集まってこられましたね。
きょん2 それからずっと月一回?
一照さん 暇だったので、最初は月4回でした。毎週日曜にやっていたんですが、「月曜日だったら来られるんですが」っていう人が出てきて、途中から日曜と月曜で月8回やるようになって。
やることなかったから、ほかにも日中にチェーンソーとか草刈り機を使って自分なりに道をつくったり、裏山の上まで何本かトレイルをつくったり……。当時はいまよりはるかに元気だったから、庭ももっと綺麗にしていたんですよ(笑)。
きょん2 ちゃんと管理人しないといけないから。
一照さん あの頃の生活は理想的だったんですよ、午前中は本を読んで、午後は外でそういう作業をやって。10年くらいは、口コミだけで活動をしていましたね。
―― だんだん忙しくなったんですね?
一照さん どこで間違えたのかな(笑)。
―― いまはあちこちひっぱりだこですけれど、いつからそういう流れが生まれたのでしょう?
一照さん 一つのきっかけは、映画をつくった後藤サヤカさんですね。彼女に引きずり出された感じがするな。
あと一つは、2013年に鎌倉の一法庵の山下良道さんと『アップデートする仏教』という対談本を出したんですが、あれに触発された若いお坊さんたちが、僕ら二人を呼んでワークショップをする「アップデートする仏教を体感しよう」っていうイベントを、2年間で9か所ぐらいやったんです。
―― 後藤さんの映画は『ブッディスト』ですよね?
一照さん はい。サヤカさんは、大阪の四天王寺で開催した1回目の「体感しよう」イベントに参加して、それ以降、会場の受付とか手伝いをしてくれるようになったんです。そこからつながっていきましたね。
―― それで映画を撮ろうということに?
一照さん はい。『ブッディスト』には僕も登場しています。3・11の震災もあって、あの時は「何かしなきゃいけない」っていう気持ちになっていたんです。
お坊さんとして日本のために何ができるか? そこにサヤカさんから映画の話があったので、一緒にやってみようと乗っかっちゃった。そこから10年くらい一緒にやって、それが僕を忙しくした、大きなきっかけでしたね。
―― じゃあ、張本人はサヤカさん……(笑)。
一照さん それだけじゃないけど、サヤカさんは大きいですね。
まあ、そうやって10年間いろいろと発信してきたから、70歳になったら充電のフェーズに変えようと思っていたんですが、70を過ぎてもあまり忙しさは変わらない(笑)。
―― 対外的にもあまり変わっているように見えないかも。
一照さん 考えたら、僕にはもうそんなに人生が残ってないですよね。占いによると、85歳くらいまでは生きられるらしいんだけど、活発に動けるのは多分あと10年くらいでしょう。
体の回復にずいぶん時間がかかるようになったと感じていますし、前は風邪をひいても2、3日して熱を出したら治ってたのに、いまはそうならない。どんどん弱っていく感じがして、これが老化かなって感じています。
だから、今後はそれこそ本気で充電していかないと。まだまだ読んでいない本がいっぱいあるし、身体も整えて、あと10歳くらい若返らせたいと思っているんです。
2015年、禅の「十牛図」をテーマに対談、ハンカチーフ・ブックスから「僕の飼っていた牛はどこへ行った?」を刊行。
坐禅会
日本に帰国後、月数回、口コミを中心に集まった人たちと坐禅会を定期的に続けている。
青々とした竹林を背景に、作務をつづける。
秋には落ち葉掃除なども。
後藤サヤカさん
映画監督、映像作家。2012年、ドキュメンタリー「はじまりの島」でデビュー。2015年、「Buddhist ―今を生きようとする人たち」を公開。
ブッディスト
http://buddhist-movie.com

「アップデートする仏教」などの共著者、山下良道さんと。良道さんとは、バレー禅堂で3年間、修行を共にした。
https://www.onedhamma.com

アップデートする仏教
大阪・四天王寺で開催されたイベント「アップデートする仏教を体感しよう」より。
藤田一照・山下良道「アップデートする仏教」
(幻冬舎文庫・2013年)
藤田一照「現代坐禅講義 只管打坐への道 」
(佼成出版社・2012年)
藤田一照・永井均・山下良道「〈仏教3.0〉を哲学する」
(春秋社・2016年)
―― 一照さんは坐禅にボディーワークを取り入れたり、身体のつながりを大事にされてますよね? アメリカにいた頃からずっと関心があったんですか?
一照さん いや、もっと前からですよ。それまでに身体的なことをいろいろやっていたから、禅は身体でやること、東洋的な身心鍛錬法だと僕には思えたんです。
お坊さんにならなかったら鍼灸学校に行って東洋医学を勉強しているはずだったし、関心はずっとあったんです。
―― 禅のお坊さんでそういうつなげ方をする人って、一般的には多くないですよね?
一照さん 僕の場合、身体性への関心が先にあって、その後に禅があったので、「禅は身体性の修行だな、それまでやってきたこととピッタリつながってくるな」って思ったんです。
むしろ、禅は精神主義的に理解されているから、「ここに身体性が接続したら面白い形になるかもしれない」という発想はもともとあったんだと思います。
日本ではそれを大っぴらに言いにくかったけれど、アメリカでは誰も見ている人がいない。だから、僕が言ったら「それが日本の禅だ」ってなる(笑)。
―― アメリカだから開いた面があったんですね。
一照さん そう。だから、最初はおずおずだったけど、誰も何も言わないから、だんだん「よし、やってやれ」みたいになって(笑)。西洋のボディーワークの講習会とかにも参加して、あれこれかじって、面白かったですね。
―― いまの坐禅会のスタイルの源流がすでに……。
一照さん アレクサンダーテクニークを最初にやって、次にフェルデンクライスをやって、ロルフィングをやって……。
―― どれも西洋由来のボディーワークですね。
一照さん ボディ・マインド・センタリングの創始者のボニー・ベインブリッジ・コーエンさんが車で一時間くらいのところに住んでいたので、直接習ったり。
ボニーさんとは縁があって、ここにご家族で泊まられたこともあるし、かなりの影響を受けていると感じますね。
きょん2 古武術系よりもボディーワークが先だったんですか?
一照さん いや、じつは合気道が一番早いんです、大学一年の時から始めていますから。
―― 合気道を始めたきっかけは?
一照さん 高校時代まではバレーボールやバトミントンをやっていたので、そういう西洋的なスポーツではない、もっと古武術的な動きをやってみたいと思ったんです。
ただ、柔道とか剣道はスポーツ化しているし、ルールがあるから、武術性があまりないなと。そのなかで合気道の演武会を見ていたら一番武術っぽいと感じて、「ああいう動きをしてみたい」と思って入って、結構熱心にやりました。
最後は、主将までなっちゃったくらいですから。
―― 大学の合気道部で?
一照さん 学部に4年、大学院に5年いたので、9年は割とみっちりやって、四段くらいです。
―― 合気道の流派は?
一照さん 当時、新宿の本部道場に山口清吾先生っていうレジェンドみたいな方がおられたんです。道場に見学に行ったら、その山口清吾先生が大男をポンポン投げていて。
「どうせ約束でやっているんだろう」と見ていたら、「はい、あなた来なさい」って言われて、化けの皮剥いでやるつもりでガシッといったら、パーンってふっ飛ばされて。こんな感覚は初めてで、まったく抵抗できないんですよ。
―― 本当にそういう方がいるんですね。
一照さん 「どんどん来なさい」って言われて、クソーッて思って向かって行くんだけど、組んだ瞬間にグシャッて崩れてしまう。でも、体はそれを喜んでるの。
―― 喜んでいる?
一照さん 心は何クソッて逆らっているのに、体は心地がいいので「何とでも好きにしてください」って感じになってしまう。全然痛くなく、自然にスッと崩されて、体がグシャっとなる。
それまでは力まかせに関節を決めるだけでしたから、合気道がこういうものだって、全然知らなかったんです。
まったく違うことやっていたことがわかって、「これは身につけなきゃ」と思いましたね。以来、山口清吾先生がいろいろなところに行くのを追いかけていたこともありました。
ボディーワーク
毎月開催している坐禅会では、坐禅の前に、一照さんがその時々に関心を持っているさまざまなボディーワークを実践。
「参加者と一緒に考察を深める〝ラボラトリーとしての坐禅会”にしようと、愉しんでやっています」(一照さん)。
https://www.todaishimbun.org/fujitaissho_interview_20221231/






フェルデンクライス
https://feldenkrais.jp
ロルフィング
https://rolfing.or.jp
アレクサンダーテクニーク
https://www.alextech.net
ボディ・マインド・センタリング
https://bodymindcenteringjapan.wordpress.com
合気道
東大・合気道部時代、演武をする若き一照さん。
山口清吾先生
1924–1996。現代合気道を代表する武道家の一人。
https://youtu.be/PJyijbXqwCg?si=-JhUw7D1VpMsJAUg
合気道本部道場
https://aikikai.or.jp/hombudojo/
―― 力まかせな動きからいかに抜け出すか……。
一照さん そう。野口整体でも同じようなことがあって、いま、野口整体を習っている山田昌広先生に手を取られると動けないんですよ。形は真似できるけど、動きの質が全然違うんです。相手が息を吸う時にやるのか、吐く時にやるのかでも違ってくる。
僕はそのレベルの動きが面白いと思っていて、これをどうしても身につけたいと思ったんです。
―― 古武術、野口整体が身体探求の入口になったんですね。
一照さん もう一つは野口体操ですね。僕はもともと心理学の研究者になるつもりでいたんだけど、心理学が人の心理面だけに注目していて、あまりにも身体をおざなりにしていることに、ずっと不満を持っていたんです。
そういう話をあるところでしたら、「それなら野口三千三先生に会わなきゃダメだよ」って言われて、それで(野口体操の教室に)連れていってもらったんです。
―― 当時、まだ三千三先生がご存命だったんですね。
一照さん まだピンピンしていましたね。東京藝大の保健体育の先生をやっていて、めちゃくちゃレッスンが面白い。いまの僕の坐禅会のスタイルは、野口先生の教室のスタイルを参考にしているところがすごく多い。鞭とかいろんなものを見せて、「こう動きましょう」とやるようなところとかね。
合気道でも、山口清吾先生のお弟子さんが合気道部の師範代だったんだけれど、僕が野口体操の話をしたら関心を持ってくれて、一緒に体験してくれたこともあります。筋力ではなく「重さで動く」っていうことがすごく大事なんですよ。
―― 坐禅も身体があって成り立つものですよね。
一照さん 身体に関心があったからということもあるけれど、僕らの身体はちゃんと使うと、本当に驚くようなことをやってくれるんですよね。そのレベルで坐らないと。
ただ頑張って坐っても、疲れるだけじゃないですか。下手をすると体を傷めることだってあるし。
―― 坐禅イコールつらいというイメージって確かにあります。
一照さん みんな「俺は頑張っている、やっているぞ」っていう自己満足のところで坐ってしまう。僕もかつてはそうだったんですが、もっと身体の深いところにアクセスして、自分を活かしている力で坐禅ができたら素晴らしいなって。
それが坐禅の本質だろうと思ったので、そこを探究して、自分もそういうレベルで坐りたいし、坐禅を伝える時は、そういう話をしていきたいと思いますね。
整体協会(野口整体)
https://www.seitai.org
野口晴哉(創始者)
https://www.seitai.org/information.html
野口体操
https://noguchi-taisou.jp
野口三千三
https://www.bookclubkai.jp/portfolio/people15/
重さで動く
自分の体の重み(重力)を深く感じ、その重さに身をゆだねることで、体内の無意識の力み、緊張を解き放っていくこと。
https://noguchi-taisou.jp/noguchitaisou/ntp1.html
―― 坐禅を始めたそもそものきっかけは?
一照さん 26歳の時、円覚寺で始めたんです。
―― 円覚寺で始めて、それから安泰寺へ?
一照さん そう。僕が鍼灸を習おうと思っていたある先生に、「私の東洋医学は禅の表現としてやっているから、弟子になるには禅を先にやらなきゃいけない」と言われて。
その先生に「私が学生時代からずっと坐っている円覚寺の居士林というところがあるから、そこで坐りなさい」と言われて、それで円覚寺に行ったんです。
―― 自分でやろうと思ったわけではなかったんですね。
一照さん そう、僕の計画ではなかったんです。
―― 最初は臨済宗だった。
一照さん だから、僕は臨済宗のお坊さんになって、公案とかをやって悟りを開くつもりでいたんですが、当時ついていた福富雪底老師に「僕を弟子にして修行道場に行かせてください」って志願したら、「いまの道場は職業訓練所みたいになっているから、君にとっては無駄なことをやることになるよ」と。
―― すごい。そんなことを言ってくださったんですね。
一照さん その老師が「曹洞宗の道場の安泰寺が君には向いているんじゃないか」って。曹洞宗の道場の安泰寺は京都から山の中に移って、その老師が理想にしている自給自足をしていて、坐禅もたくさんしているところらしく、「実際に訪ねて、自分の目で見て、確かめたらどうだ」って言われたんです。
ただ、当時ネットも何もないから、どうやってコンタクトしたらいいか困っていたんですね。
―― それでどうつながったんですか?
一照さん 当時、僕は鍼灸を学ぶ内弟子として(千葉の)横田観風先生のところに住み込みしていたんですが、そこに曹洞宗の道場の安泰寺の前の住職である内山輿正老師の本を出している、柏樹社という出版社の社長さんが患者さんとして来ていたんです。
たまたま、福富雪底老師から曹洞宗の道場の安泰寺をすすめられた数日後、その社長さんが来られて、「明日、内山輿正老師に会いに行くから、一緒に行って相談してみたらいいじゃないか」と言われて。
すすめられるまま老師にお会いして、「次の接心は3月で、大雪が降るから普通は受け付けないけれど、ダメ元で往復ハガキを出してごらん」って言われたので、出してみたら「2月29日に来なさい」って返事が来たんです。
その年はうるう年だったんですが、そのご縁で(曹洞宗の道場の安泰寺に)行くことになっちゃったんです。
円覚寺
臨済宗円覚寺派大本山。
https://www.engakuji.or.jp
お寺で対談 横田南嶺×藤田一照
https://www.engakuji.or.jp/blog/32227/
福富雪底老師
1921~2005年。のちに臨済宗大徳寺派第14代管長に。
曹洞宗の道場の安泰寺
安泰寺
https://antaiji.org/ja/
内山輿正
https://antaiji.org/ja/services/
横田観風先生
1974年、鍼灸治療院「観風堂」を開院。禅を福富雪底老師に学び、「鍼と禅」(春秋社)を著す。
https://www.iyashinomichi.org/
安泰寺9代目堂頭をつとめたネルケ無方さんと。
https://antaiji.org/ja/muho/
―― 坐禅を最初に体験された時、古武術や野口整体でやっていたこととつながったのですか?
一照さん つながりました。同じだなって思いましたね。一言でいうと「身心一如」、身と心を分けていなくて、丸ごと扱っているなっていうことがわかりました。
しかも、探究方法が実験のように他人を調べるのではなくて、自分が直接体験するわけです。
―― そうした感覚は、どのあたりでつかんだんですか?
一照さん 最初は身体のなかが戦場、バトルフィールドになっているわけですよ。「こうさせたい」という心の自分と、「そうしたくない」という体の自分、心と体が分離して、喧嘩しているような状態。いままでのパターンだと、心の自分がトップダウン式に体をコントロールし、「どうだ偉いだろう」っていう感じだったんですが、坐禅はそれができないんですよ。
―― ああ、できないんですね。
一照さん できないというより、やってはいけないっていう感覚があるんです。だから、どうやったらバトルフィールドではなく、(身心が調和した)ピースフルな状態になるのか? それが(坐禅の)課題だと思うんですね。
―― その感覚は最初の頃からあったんですか?
一照さん 言語化はできていなかったけれど、方向性はそういうことだなって感じていました。じつはここは、僕にすごく欠けているところでもあったんですが……。
―― そうなんですか?
一照さん 武術もそうなんですが、「君は相手が来る前から、こうやって動かそうと思っているだろう。それは、君の自分勝手な動きだからダメだよ」って言われていました。
―― 意図して動こうとするとバトルになる?
一照さん そう。出会った途端におのずと生まれてくる動きがいいんですが、それがなかなか難しいんですよ。
普通は、「相手をこうやって投げてやろう」っていう思いがあって、その通りにできたら「うまくいった」って思うんでしょうけど、そうではなく、こちらに何の構えも予期もなく、出会った時に展開していくような……。(武術で言えば)それが本当の技だっていうことですよね。
―― それを坐禅に当てはめると……。
一照さん 僕がやるのではなく、相手がやるのでもない。たとえば、僕と床が出会って姿勢が生まれるのですが、それは僕が一方的に働きかけて生まれるものではないんですね。
その点を頭ではイメージしていましたが、「こういう感じか!」と体感として理解できたのは40歳の頃でした。
―― きっかけとなる出来事があったんですか?
一照さん その頃、アメリカで合気道の道場に通っていたのですが、まだ新しい道場だったので、(黒帯をつけた自分に)大きな男たちが教えてもらおうと次々来るわけですよ。
ガシッと組まれて、もうプライドをかけて必死でやるわけ。それでくたくたになって帰るので、夕方から一時間坐らなきゃいけないのに坐れるような状態じゃない。
疲れきって寝てしまうだろうというくらいだったのですが、坐ると身体が透明になって、あらゆる関節がストレッチされて、エネルギーの滞りがなくなって……、(坐禅が)楽に組めたし、気持ちいいから眠くもならないんですよ。
―― 何が良かったんでしょうか?
一照さん 合気道の稽古でエネルギーを使い切って、無駄な力も抜けて、何の期待もなくただ坐れたからでしょう。「これならずっと坐っていてもいいな」っていう感じになったんです。
―― 40歳の頃というのは……。
一照さん 阪神大震災があった95年が41歳の時だったから、その感覚をつかんだ頃だったかもしれません。
この時期、合気道の稽古もそうですが、子どもが生まれて、家族ができたことも大きかった気がします。僕自身のトーンが変わったというか、それまでは独りよがりで、人を寄せつけない、一匹狼っぽい感じでしたから。
―― いまの一照さんとは違うイメージ(笑)。
一照さん (スマホを見せながら)当時はこんな感じで、笑ってる写真がほんとない(笑)。次女がもうすぐ結婚式をあげるので、昔の写真を探していたんですが、「パパ、ほんとに笑ってないね。顔つきがいまと全然違う」って言っていました。
―― 子育てなども影響しているんですか?
一照さん 大きいですね。それまで、結婚して家族を持つことだけは無理って、ずっと避けていたんです。お坊さんは独身であるべきだと思っていたし、自分だけでも重たいのに、傍らにそんな責任のある関係を持つなんて無理だって。
―― でも、それが変化につながった。
一照さん そうですね。使っていない筋肉、使ってない脳の部位を使わざるを得ないっていう感じかな。相手に合わせるとか、相手がどう感じているかとか、いまでもしんどいですから。
―― 合気道の話と重なるところがあるんですか?
一照さん 家族って大喧嘩しても、ご飯も一緒に食べなきゃいけないし、そこがちょっと違いますね。
(坐禅の)修行に関しても、一人でやっているのと、赤ちゃんが泣いているようなシチュエーションでやるのとは全然違う。
いまもよく思い出すんだけど、ティク・ナット・ハンさんの本を翻訳しているとき、締切りに追われてイライラしていたので、娘の早紀が「パパ、ご飯」って言いにきて、思わず「うるさいっ!」って言っちゃって。
早紀が「パパ、何でそんなに大きな声でどなるの?」って、涙を流しているのを見て、「ああ、俺、いま何を訳しているんだよ」ってがく然としてしまいました。ちょうど慈悲心について書いてあるところを訳していたんですよ。
―― マインドフルネスの本を訳しているのに……。
一照さん 「俺って、こんなに怒れるんだ」って、家族がいると、そういうことに気づかされるんです。
ほかにも、僕が買ったものに尚美が文句を言ったことがあって、うだうだ言うから「うるさい!」って、持っていた箸を机にバーンって突き刺したら、めり込んで箸の先がポキンと折れてしまって。自分がそんなことするなんて、びっくりした。
―― 思わずやってしまったんですか?
一照さん そう。気がついたら刺しちゃった。机に刺さった箸の先っぽをそのままずっと記念に置いてあるんですよ。
―― いましめみたいな?
一照さん 僕には、そういうことがよくあるんです。子どもにおもちゃ箱を片付けるように言って、言うことを聞かなかったら、階段の上からバラバラ〜って。
きょん2 エエッ、そうなんですか?
一照さん キレやすいんですよね。一人だと自分の思い通りになるからそういうことはないんですが、家族がいると思い通りにならないことが増えてきますよね。ペースが違ったり、やりたいのに嫌だって言われたり……。
僕は爆発型なので、心の平静さを保つよりも、爆発した後の事後処理をどうするかというほうが大きな学びで、家族ができたことは大きかったと思いますね。
昔の写真を探していた

ティク・ナット・ハンさんの本を翻訳
ティク・ナット・ハン「禅への鍵」(春秋社・2011年)
https://amzn.asia/d/0iuevsYj
スラックラインを愉しむ一照さん。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/103524.html
―― アメリカには、最初は一人で行ったんですよね?
一照さん 最初一人で行って、翌年に山下良道さんが来て、3年ぐらい一緒だったのかな。33歳でアメリカに行って、結婚したのが37歳なので、4年は一人でした。
―― そして40代の先ほどの話につながっていく。
一照さん 別にプランを立てていたわけじゃないですが、それぞれ20代、30代、40代と、テーマが10年ごとにあったような気がします。
40代は(ヴァレー禅堂の)責任者という、無意識に何か背負っているものがあったけれど、もう50になったら、自分と家族のことを最優先にして、社会的なものからは一線を引いて、静かに余生を送ろうというつもりで、日本に帰ってきました。葉山はそういう場所だなって思っていたんですけど。
―― でも、それが変わってきて?
一照さん いま、70代になったじゃない。今後はもっとスローダウンして、子どもも2人とも独立したし、あとは僕と尚美と猫のテラの3人で、もっとひっそりと暮らそうと……。
今回は葉山の話でインタビューされているけれど、「次はどこに住むんだろう?」っていう楽しみはあるんですよ。
きょん2 いなくなっちゃうと寂しい。
一照さん 次は尚美が住みたいところに。いままで尚美は僕がいるからついてきてくれた形だから、最後くらいはね。僕は、本を入れられる大きな部屋が一つあれば、それでいいんです。
―― いま、蔵書は何冊くらい? 1000冊は超えていますよね。
一照さん もっとありますよ。英語の本も結構あるんですけど、どうしようかと思って。半分以下に減らすように指令を受けているんですけど、半分でも相当ある。
だんだんこのあたりにはみ出してきているでしょ。これをなんとかしろと言われていて。
―― 売るとか、手放すことはあまりしないんですね。
一照さん 「野口晴哉著作全集」をコロナの最初の年に買ったんです。山田先生に「買えるときに買うしかないんじゃないですか」って言われたから。一巻ずつ箱に入ったこんなサイズのがセットで来て、嬉しくて頬をすりすりしちゃった(笑)。ずっと探していたけど、全巻揃っているのがなかなかなくて。
すごく高かったけれど衝動的に、清水の舞台から飛び降りるつもりで買っちゃいました。いやあ、初期の編集なんか読むと、すごい内容ですね。見たことある?
井島 僕は第一部まで。手元に置いてじっくり読みたいんですけど。
一照さん 初期の4巻くらいは特にすごいですね。20歳のときに書いている文章は、「あの若さでこんなことが書けるのか?」って思えるような内容です。学校もろくに出てないのに、すごいことを書いていますよ。
―― いつもそういう感じ?
一照さん いつもそう。計画通りに生きていないんですよ。
―― セレンディビティな感じですね。
一照さん 行き当たりばったり。
―― 行き当たりばったりだけど、どこかに行き着くみたいな。
一照さん イメージ的に言うと、木枯らしが吹いて、枯れ葉がカサカサカサって、こっち行くとまた風が吹いてカサカサカサって、そういう感じかもしれない。
次はどこにカサカサって行くかな? アメリカに行ったのだって、師匠に言われて行ったからね。
―― その時々、風が吹いてくるんですね。
一照さん 不思議なんだけど、出家とかスピリチュアルなことに本気で向かうと、ドアが向こうから開いてくるっていう感じはありました。このときだけじゃなくて、いくつもそういうのがあって。どこ行けばいいかなって言ったら、パカッと開いて、じゃあそっちに行ってみるかっていう感じ。
だからお坊さんになる時は、そういうふうにできているんだと思って、自分のああしたいこうしたいよりも、流れに任せようって思いましたね。アメリカもそれですよ。
―― 考えるのを手放すみたいなところがありますね。
一照さん 状況が僕に何をさせようとしているのか、みたいな。僕がやりたいというよりも、もちろんやりたいから行くんだけど、なんでこんな風にうまくお膳立てしてくれるんだろうっていう。だから日本に帰ってくるのも似たような感じでした。
―― ずっと同じ流れのなかにいるんですね、きっと。
一照さん いずれ最後はあの世に行く流れが。
―― 行く流れが最後に開くんですか。
一照さん それには「はい、受けたもう」って言うしかない。
―― いずれは必ずそうなりますね。
一照さん なんだか葉山に関係ないことばかり……。
―― いえ、葉山に至る道のりも含めて、いいお話が聞けました。
一照さん 年代的なところは正確じゃないかもしれないけど、あんじょーやってください。
―― あんじょーやります。大丈夫です。
一照さん まあ、いままでもいろいろ話してるからね。
―― でも、初めて聞く話ばかりだから、とても面白かったです。ありがとうございました。
一照さん ありがとうございました。

木枯らしが吹いて、枯れ葉がカサカサカサって、
こっち行くとまた風が吹いてカサカサカサって、次はどこにカサカサって行くかな?
野口晴哉著作全集
「野口晴哉著作全集」(全11巻、全生社、1983年〜)
第一部:初期論集(全4巻)
第二部:中期論集(全4巻)
第三部:後期論集(全2巻+別巻1)
井島さん
撮影を担当した井島さんは、整体協会の稽古会に通うなど、野口整体を長く学んでいる。