大石美果さん Mika Oishi
大石美果
1963年、京都生まれ。「葉山イキ農園」主宰。2013年より葉山町上山口で休耕田を開墾、人も植物も微生物も気持ちよく「息づく」農園にしたいと「イキ農園」と名づける。三浦の有機農家や棚田の援農、平塚農高初声分校で農の基礎を学んだのち、イキ農園での実践を続けるなかで、自然栽培の魅力に取り憑かれることに。開放日には、農園に集うメンバーやシェフと一緒に農作業や野菜料理の食事会を楽しんでいる。
https://www.instagram.com/iki_mika
収録:2023年10月26日 @カフェテーロ葉山
編集:
長沼敬憲 Takanori Naganuma
長沼恭子 Kyoco Naganuma
撮影:井島健至 Takeshi Ijima @葉山イキ農園
――農園を始めたきっかけは、どんな感じだったんですか?
美果さん もともと食に関して興味はあったんですけど、農作業ってまったくやったことがなかったんです。
うちは長男に障害があって、学校を卒業してどこかで働くことになったとき、作業所をいろいろと見学したんですね。そのなかで伊勢原市の「さくらの家福祉農園」を知って、ここで自閉症の子たちが生き生きと働く姿を見て、すごく感動したんです。
「百の仕事があることが百姓」って言うくらいだから、「うちの子にもできることはあるのかな?」と思って、それで(住まいのある)横須賀に、母親たちと一緒に「あんしん農園」という作業所をつくったんです。
――すごい。作業所をつくるところからスタートしたんですね。
美果さん 横須賀で土地を借りて、作業所の場所も借り、認可もおりて「さあ、始めましょう」ってなったんですけど、誰も野菜づくりを知っている人がいなくて(笑)。
「場所はあるんだから、何かを植えなきゃいけないね」っていう感じで始めてみたんですけど、知識がないから、だんだんと畑よりも果物を取り寄せてジャムをつくったりとか、そういう方向になっていったんです。
うちの子は、加工作業には向いてないので、これはどうしようと。それで親子で抜けて、私は三浦にある平塚農業高校分校の社会人聴講生になって、農業について勉強するようになりました。
――まず農業のことを知ろうと思ったんですね。
美果さん はい。当時、「中高年ファーマー」という県の事業で農家を育成するプログラムがあったんですが、55歳以上でないと入れない決まりだったんです。
だから、三浦や横須賀の農家さんのお手伝いをしながら一年間勉強させてもらってたんですけど、続けていくうちにどんどん農作業にのめり込むようになって(笑)。
――お子さんのために始めたのが、自分のために。
美果さん そう。どんどん、どんどん、自分が面白くなっちゃって。最初、有機で始めたんですけど、自然栽培を知って、またどんどん、どんどん……、いまに至るというか。
――農業の何が楽しかったんですか?
美果さん なんでしょうね? 続けていけばいくほど、面白くなるんですよ。いまだにわからないことでいっぱいだから、失敗ばっかりですけどね。
――やっていくうちに、自然栽培に惹かれて?
美果さん 三浦の農家さんで勉強させてもらっていた最初の頃は、有機とか低農薬みたいな感じだったんですけど……、自分のなかで腑に落ちないことがあって。
――腑に落ちないというのは?
美果さん 「土の中に、まわりの環境にない有機物を大量に入れるということが、自然なのか?」と。
それで、完熟していないものを入れていた私が良くなかったんですけど、ある時に穴を掘ってたんです。
そしたら、土のなかから虫がたくさん飛んできて、顔のあたりにワーっときて……。ちょうど10月の終わり頃だったので、友達にリアル・ハロウィンって言われちゃって(笑)。
――ああ、顔がすごく腫れてしまったんですね。
美果さん 皮膚科に行ったりしたんですが、結局、私自身が土のなかのことを何もわかってなかった、だから、こういう体験をしたんだなって思ったんです。
そんなところに苗を入れるって、どういうことなのか? 根っこが伸びていくところにこれがいるっていうことだから、このまま続けていいのか、疑問が湧いてきたんですね。
さくらの家福祉農園
http://www.saku-labo.org
百の仕事があることが百姓
「百姓」とは、百の生業を生きる人。本来、農家に限らず、暮らしのなかで役割を編み出す、開かれた存在を意味していた。
平塚農業高校分校の社会人聴講生
県立平塚農業高等学校 初声(はっせ)分校
中高年ファーマー
神奈川県が実施していた農業体験プログラム。55歳以上の中高年層を対象に、農業の基礎知識、技術を学ぶ機会を提供。
(現在、「かながわホームファーマー事業」と名称を変更。年齢制限をなくし、広く参加者を募集している)
――そもそも、土に触れるという経験自体、それまであまりなかったんですよね?
美果さん 私はわりとインドア派で、土に触れるようなことはほとんど何もしない人だったんです。それが、畑に毎日出ていると、元気になってくるような感覚があって。
――その点も好きにつながっていった?
美果さん それもあると思いますね。あと、最初に借りた農地がもともと20年くらい休耕田で、スコップを入れようとしても固くて全然入らなかったんです。
葦が一面に生えているところだったんですけど、葦の根が枝みたいに張りめぐらされていて、この根っこをなんとかしないと畑にできるところがなくて、とりあえずユンボを入れて根っこを切ろうってことになったんです。
それで、心当たりをあちこち当たって、「いくらくらいかかりますか?」って交渉して、結果的にある墓石屋さんが安い金額でやってあげるよって言ってくれて。
――簡単にはいかなかったんですね。
美果さん はい。ユンボを入れて、すごい根っこがわーっと出てきて、これを取らないといけないと。
とりあえず夏作を始めたいと思って、まず畑の一部に溝をつくって、このなかの根っこを徹底的に取るということを、毎日畑に通ってやっていたんです。
ちょうどFacebookを始めた頃だったので、収穫できる野菜もないので、「今日はこれだけ根っこを取りました」って投稿していたら、友達が面白がって、手伝いに来てくれるようになって。
そうやってだんだん輪が広がって、根っこを取ってくれた人にお昼を出したり、もともと人が苦手だったんですが、農作業してたら自然に仲良くなれるし、ありがたいし、初めての人でも話せるようになったんです。
――元気になったのは、土にただ触れただけじゃなく……。
美果さん 毎日、不思議な達成感もありますしね。それまでわりと暗い性格だったんですよ(笑)。
それが人が集まってきてくれて、(写真を見せながら)このスペースをずっとやってたんですけど、そんなに広くない場所で、ユンボを入れたら、これだけの根っこがとれたんです。
――すごい。こんなに大きいとは……。
美果さん 掘り出した後、ちょっとオブジェ的に置いていたんですけど、この根っこを燃やそうっていうことになって。手伝ってくれた人たちと根っこで焚き火して、お餅を焼いたりして、そこからなんとなくランチ会が始まって。
コロナになってからあまりやってないんですけど、(農園に)シェフを呼んでランチ会をしたり、いろんなお客さんが来てくださようになっていったんです。
――でも、なぜ葉山だったんですか?
美果さん そこはたまたまですね。農業できるところをいろいろと探していて、でも、農家じゃないから、農地って貸してもらえないんじゃないですか。
「畑をやりたいんだったら、まず市民農園とかに入ればいいんだよ」って言われたんですけど、私はそういうところに入ろうっていう気がしなくて。もう、「自分は農家なんだ」って、なんか思い込んでいたんです(笑)。「私が借りるのは農地しかない」っていう感じになっちゃっていて。
それで、まわりに「農地、農地」って言っていたら、「地主さん、知ってるよ」っていう人がいて紹介してもらえたんです。まあ、すごい土地だったんですけど(笑)。
――そこが、いまの「葉山イキ農園」なんですよね。ネーミングは、どうやってつけたんですか?
美果さん 息をするのイキ、土のなかの微生物も、虫も、みんな息をしているし、人が集まって息を合わせるとか、一息つくとか、いろんな使い方がありますよね。
あと、おばあさんでイネさんみたいな名前がカッコいいなって思っていたので、カタカナのイキ農園にしました(笑)。
――なるほど、ちょっと粋ですよね。
美果さん そうね。(名刺を指しながら)これがミミズなの。
――なんか息をしているって感じがありますね。イキ農園の歩みが見えてきてよかったです。
これだけの根っこ
これがミミズなの
――お住まいは、いまも横須賀なんですか?
美果さん はい。私、もともと関西の人間で、あまり葉山のことは知らなかったんですよ。(東京から)引っ越したいと思って家をずっと探してたとき、ちょうど横須賀で降りたんですけど、なんとなく優しい感じがしたんです。
――安針塚のあたりでしたっけ?
美果さん (住まいは)安針塚なんですけど、まず横須賀中央で降りて。当時、長男がまだ小さかったので、パッと急に人に触ったりすることがあったんですね。
東京の人たちはビックリして、神経質な感じで「エッ?」ってなっちゃうんだけど、その時の女子高生たちが「なになに? どうしたの?」みたいに接してくれて、「ああ、ここだったら子育ては大丈夫かな」と思ったんです。
――関西どこだったんですか?
美果さん 京都なんですけど、木津川と言って奈良の近くで。京都の南、奈良との県境ですね。
京都の人たちって、碁盤の目に住んでいる人が京都の人だと思っているところがあるから、「京都に住んでいます」と言っても、「あんなん奈良やん」って言われるところ(笑)。市内に行くのに、京都に行くって言ってましたから。
――わりと自然が多い環境だった?
美果さん まわりは田んぼでしたけど、何にも関心なかったので、いまうちの母もびっくりしてますよ。「昔は庭の草も一つも取らなかったくせに」って(笑)。
――こっちで農園をやりはじめてから、人のつながりが生まれて、生き方が変わっていった感じなんですね。
美果さん そうですよね。今朝も土づくりをやっていたら、4人くらい来てくれて。なかには東京から来てくれる方もいて、そうした人たちがみんな仲良くなって。
――農園には頻繁に通われているんですか?
美果さん ほぼ毎日。家から車で15分ぐらいかかるんですけど、もう風が吹くだけでも心配になって。大雨が降ってどうしよう、霜が降りてもどうしようって、もう子供以上に(笑)。
――遠出しづらくないですか?
美果さん どこか行こうっていう気がしないですね。畑へ行って、月に2回サウナ行って、それで人生もう満足(笑)。
――なるほど。自然栽培は誰に学んだんですか?
美果さん 岡本よりたかさん、三浦伸章さんの影響が大きかったですが、最近、いま流行りの「菌ちゃん農法」も学びました。
友人から教えてもらって、たまたま逗子で講演をやることを知って、いろいろと勉強になりましたね。
(菌ちゃん農法では)ビニール資材を使ったりするんですけど、土壌をつくる菌のなかでも糸状菌を育てることに特化していて、それも畑に取り入れるようになりました。
――面白いな。腸内細菌も土壌菌も、関わっている菌の種類は違いますけど、原理は一緒だって話を聞いていて、実際そうなんだろうなって感じていたので……。
美果さん そうですよね。菌ちゃん先生も「菌でつくった野菜を腸内に入れるんだ」って言っていますね。食べるときも唾でちゃんと溶かしてから入れるんだって。
――農業をやっている人は、理屈だけじゃなく、それを土壌で実践しているからすごいなと思って。
美果さん 私の場合、食事については、フラフラとコンビニに寄って、スイーツを買ってしまうこともあるから、そんなに厳密じゃないんですけど……。
――こだわりすぎず、ちょっと適当な感じって大事ですよね。
美果さん まあ、できるだけって感じですね(笑)。「今日はダメだったけど、また明日ね」みたいな感じで、うまくいったら「今日は偉かったな」って。
安針塚
横須賀市街にほど近い、京急安針塚駅周辺のエリア。三浦按針(ウィリアム・アダムス)ゆかりの地として知られる。
岡本よりたかさん
環境活動家、無肥料栽培家。シードバンク「たねのがっこう」主宰。
https://www.instagram.com/yoritaka.okamoto/
三浦伸章さん
農アーティスト。自然農法をベースにした「ガッテン農法」を主宰。
https://www.instagram.com/nobumiura369
菌ちゃん農法
菌ちゃん先生(吉田俊道さん)が提唱、微生物の力を最大限に活かした農法。
https://kinchan.ocnk.net
――自然栽培をやるようになって、「農家になりたい」っていう思いは変化したんですか?
美果さん 最初に勝手に農家になるって決めて、農業委員会に行ったんですよ。そしたらまったく相手にされなくて。
とりあえず借してもらえた農地を徐々に広げていって、5アールぐらいになったので、ダメもとで葉山のJAに行ってみたんです。そしたら、ウェルカムで、まず何をするのかと聞いたら、「(JAの)通帳をつくってください」って(笑)。
私、住んでいるのが横須賀なので、「横須賀地区のJAに入ってください」って言われて、最初はマルシェをやっているというので、月に2回手伝うようになりました。
農家さんやJAの職員さんにいろいろと教えていただいて、そこから2年ぐらい経った頃に「正組合員に」と言われて、農家になれたのかなと、私は思っていたんです。
――そんな印象はありますよね?
美果さん それで農地も買えるのかなって思って、ある時期に農業委員会に相談したら、「JAがいう農家とは違うんですよ」って言われて。やっぱり農大を出ているとか、農家育成しているところで研修を何年かやっているとか……。
たとえば、SHO Farmさんでもやっておられるし、海老名にアカデミー(かながわ農業アカデミー)があるんですけど、そういうところを出ているのがまず基準としてあるみたいで。
――それが農家の資格ということ?
美果さん あと、葉山だったら5アール以上とかって言われてたんですけど、横須賀だとまた違っていたり、いろいろと基準があって、どうしようかなって。
農事法人を友達とつくろうかなとか、いろいろと考えていましたが、ガックリしました。農家さんの後継ぎ不足とか、耕作放棄地とか、そういう問題もあるのに、なんか変な世界だなって。やる気のある人はいっぱいいるのにね。
――葉山にも、やりたい人はいっぱいいそうですよね。
美果さん 若くて元気な人には自然派の人が多いのに、なかなかたどり着けないんですね。
――自然栽培をやっていても、JAには入れるんですね。
美果さん JAでは苗木を購入したり。生産性が高いわけでもないのに、優しくしていただいています。「変わりもんやなぁ」と思われてるかもですが(笑)
あと、月に2回のマルシェは楽しみで、勉強にもなります。
――野菜を卸したりはできるんですか?
美果さん うちは採れる野菜が少ないっていうのもあるけど、マルシェではだいたい価格を合わせるので、大根って一本100円くらい、うちのは小さいので50円くらいなんです。
だから、うちで食べたり、仲間うちで分けたり、自然栽培の野菜が欲しいっていう人に直接売ったりしていますね。
あと、大根って花が美味しくて、大根おろしの味がするんですよ。
「焼き魚と一緒に食べると、大根おろしよりもいい」って、毎週買いに来てくれる人もいて。
農家さんからしたら、大根に花を咲かせるのは恥みたいなんですけど、種も採るのでうちはそれでいいかなと。
カブの花はカブの味がするので、農園ランチをしていたとき、「これは何の花でしょう?」って当ててもらったり。畑のサラダバーみたいな感じで楽しかったですね。
SHO Farmさん
https://sho-farm.sunnyday.jp
かながわ農業アカデミー
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/k5g/academy-top/index.html
大根って花が美味しくて
――この10年ぐらいを振り返って、人のつながりとか、まわりの空気って変わってきていますか?
美果さん やっぱり、つながる方がすごく増えましたよね。土を求めている方がこんなにいらっしゃるのかなと。それに皆さん、よく勉強されているし。
畑を始めて5年目ぐらいに小屋を建てたんですけど、ちょうど去年のいま頃、事情があって小屋のあるあたりの農地を地主さんに返すことになったんですね。
更地で返す必要があって本当に困りました。そこで、小屋の物置をつくってくれた大工さんに相談したら、「運ぼう」っていうことになって。葉山にHFC(葉山の森保全センター)ってありますよね? 私も入会しているんですけど、ここの皆さんが手伝ってくれて、ボランティアさんもきてくれて。
それで、ここの畑の3ブロック先くらいにあったんですけど、(いまある場所まで)わっしょいわっしょい(笑)、みんなで運んでくださったんです。
――へえ、すごい。小屋って運べるんですね。
美果さん いろいろな方に呼びかけてくれて、筋肉モリモリの方がたくさん(笑)。
――いろんなつながりが生まれてきていますね。自然農をやる人自体は増えているんですか?
美果さん これまでのやり方を変えることって、難しいじゃないですか。私も有機農法を勉強していたので、自然農を始めた頃、やっぱり戸惑いはあったんですよ。
だから、慣行農家さんも、「そんなことできるわけない」って思うだろうし、生産性を求めたら「そんなの遊びでしょう?」みたいなところもあると思うんです。
――普通はそういう意識かもしれないですね。
美果さん 自然栽培も、こういう土だったらこうするとか、いろいろやり方があって、いきなり何も入れないでいいかというと、そんなに上手いことはいかない。かといって、「10年ぐらい経ったら何とか育ちますよ」とか言われても待てないですし。
私も自然栽培のセミナーに一年通って、やっとできそうかなっていう感じだったんです。
――教わったのは、岡本よりたかさんでしたよね?
美果さん はい。10年ほど前に川崎市でよりたかさんのセミナーがあったので、そこに通って、基本的なことは学ばせていただきました。その後、たまたまうちの畑に来られる機会があったんですけど、ここは大変な粘度質だねって。
――根っこを取るところから始めたわけですからね。セミナーに通ううちに手応えはつかめた?
美果さん そうですね。「こういうふうにやっていくのかな」っていう。でも、土は違うし、だんだん欲もなくなってきて、「こういう感じで、できたらいいかな」みたいな、いまはもう、そんなふんわりした感じです(笑)。
――失敗することもあるんですよね?
美果さん そうですね。うち、玉ねぎはいっぱいつくるんですけど、ある年、畑の近くに豆科の草が生えていたのを「よし豆科だ!」って抜かないで育てたら、もう全然ダメで。
あとで調べると、玉ねぎを育てるときは草を取ってやったほうがいいってわかって。そこは、作物によって違うんですよね。草負けしてしまうものもあるからなんですけど……。
――玉ねぎが大きくならなかった?
美果さん そう、もうペコロスかみたいな感じで、小さいまま成長が止まっちゃって。毎年、上山口のさんじ(3pm)さんに卸して、クッキーの材料にしてもらっていたんですけど、今年は小さいものを持って行ってもらった感じでしたね。
――結果が出るまでに時間がかかるってことですよね。
美果さん そうなんです。シェフはいいなって思います。お料理は失敗しても、すぐにまた次って言ってつくれる。こっちは一年がかりで大失敗(笑)。
――失敗を受け入れる気持ちがないと続けられないですね。打撃も大きいとは思いますけど……。
美果さん 打撃は大きいですね。でも、「もうこれはつくれないな」っていうのは、諦めもつきましたね(笑)。
きょん2 次の年が早く来ないかなって思います?
美果さん またやりたいなって思いますね。「毎年、一年生かい」みたいなツッコミを自分で入れて(笑)。
――うまくいかない原因も、自分なりにつかんでいく?
美果さん 失敗して学んできました。あと、この野菜はダメだったけど、これはよかったなというところで折り合いをつけるとか。
去年は雨が多かったから、田んぼが良かったんですよね。だから、それでトントンみたいな。全滅ではないかなって(笑)。
HFC(葉山の森保全センター)
https://www.hayamanomori.org
みんなで運んで
上山口のさんじ(3pm)さん
https://www.3pmsanji.com
横田美宝子さん(3pmオーナー)
https://nowhere-japan.com/hayama/articles/001/
――稲と畑でどっちが大変とかありますか?
美果さん 楽しさが全然違うんですよ。畑は畑で面白いけど、田んぼは田んぼで楽しいですよ。
田んぼは共同作業っていう感じがあって、毎年、春分の日に森戸海岸の海水を持ってきて、去年採った稲の種籾をその海水に入れ、沈んだものを種として使うんです。海水選って言うんですけど、まずそこから一年が始まって。
選別した種籾を池に浸し、根出し、それをパレットで育てて、6月になったら田植えをして、草取り。秋になるとはざ掛けをつくって、稲刈り……。
一年間の流れが決まっているので、人も集まりやすくて。
――イベントみたいな感じで関われますよね。
美果さん それがすごく楽しいですよね。いまは収穫が済んで、田んぼはカラカラなので、冬から秋はここで焚き火をして、その灰がたまたま栄養になって。
――循環しているんですね。
美果さん すぐそこの山に木がいっぱいあるので、薪はたくさん採ってこれますからね。
――これからどんなふうに続けていきたいですか?
美果さん よりたかさんの講演会ですごく印象に残っているのが、肥料を入れた野菜は大きかったり、形が揃っていたりするけど、肥大しているから、「そのまま放っておいたら腐る」って。自然栽培の野菜はどうなると思います?
――しわしわになっていくみたいな感じ? 腐りはしない?
美果さん そう。腐らないで、枯れるっていうんですね。だから、私も枯れるものをつくりたいなと思って。
――確かにそれが自然ですもんね。
美果さん 私も腐っていくのではなく、枯れていきたいなと思って。そのことがすごく腹に落ちた感じがして。
――ああ、生き物として。
美果さん そういう気持ちになれただけで、「ああ、自然栽培にめぐり会えて本当に良かった」と思いました。
実際、うちの野菜もそのまま置いておいたら枯れていくんですよ。まあ、もともと小さいっていうのもあるけど、キューッと実が詰まって、枯れていくんですよね。
きょん2 本当はみんな土に生きているっていうか、自然に生きていけたら、そこに行き着くのかなって。
美果さん 葉山にはいろいろとわかりあえる人が多いから、だからこそ、できているんだって思いますね。
――今日はじっくり対話できてよかったです。ありがとうございました。今度は農園に遊びに行きますね。
美果さん はい、ぜひいらしてください。こちらこそ、ありがとうございました。
海水選
海水など、塩分を含んだ水を使って、発芽しない未熟な種もみを取り除く作業。
はざ掛け
刈り取った稲を竹や木の棒にかけて自然乾燥させる、昔ながらのやり方。